ゼネラリストかスペシャリストか?時代の流れはどっち?
「ゼネラリストが熱いよ。」、「いやいやスペシャリストでしょ。」この議論は、いつか聞いたことがあるかもしれません。
ゼネラリスト、スペシャリスト、この決着はいつ着くのでしょうか?
もくじ
戦前:江戸時代とほぼ同じ農業スペシャリスト83%
では、まず戦前から見てみましょう。
実は、第二次世界大戦前までは、日本の農民割合は、江戸時代とほぼ同じでした。
つまり80%が農民でした。リアルな武士は2%で、足軽が3%でした。足軽は農民に足すとしましょう。農民は83%です。
工・商人が27%です。
日本の83%が農民だったため、ゼネラリストというのは、そもそもありえない概念です。
地主でも小作でも全員、農業のスペシャリストでしょう。
当時は、12歳くらいで元服で、50歳くらいで亡くなっていたので、約40年農業に従事しているスペシャリストです。
農業品目も外来種(トマトなど)は存在しないので、お米、雑穀など日本古来の作物のみを育てていたスペシャリストです。
ジョブローテーションなども当然なかったでしょう。
この状況が、1945年まで続いたわけです。
よって、まず、最初に意識しておくことは、ゼネラリスト・スペシャリスト議論は、あくまでたったの80年くらいの歴史しか持たないのです。
日本の歴史は、古事記、日本書紀辺りからとして、720年頃なので、1,300年とされています。
縄文人から数えると1万年です。
そのうちたったの80年の歴史しかないのです。
昭和:ゼネラリストが熱かった
昭和の時代は、ゼネラリストが熱い時代でした。
高卒で、上場企業に入れた最高の時代です。
*就職氷河期では、旧帝大でも上場企業に30%しか入れなかったそうです。
上場企業に入社し、営業→総務→工場→経理→海外→営業などという風に、幅広く経験を積みながら、会社全体を見渡せるようになり、昇進していくのが昭和型のゼネラリスト育成モデルでした。
しかし、ゼネラリスト育成モデルには、欠点がありました。
どの職場も、数年のため、薄く広い経験になってしまい、難しい問題を解決できる専門的知識のある人間が育ちづらかったということです。
平成:スペシャリストが熱かった
平成の時代は、ゼネラリスト問題を解決するべく、スペシャリスト育成に舵が切られました。
当時、日本が、参考にしていたアメリカがスペシャリスト採用だったからです。
経理専門の人、人事専門の人、営業専門の人という風に専門性を深堀り、資格取得が昇進につながると言われていました。
平成時代には、バブル崩壊後、不景気が続き、就職氷河期が訪れました。
大学は、こぞって資格取得に活路あり、というメッセージを学生に流し続け、ダブルスクールが流行りました。
学生たちは、公認会計士、弁護士、税理士、社労士、行政書士、司法書士、TOEIC高得点を目指し、毎日10時間以上勉強しました。
しかし、平成後期になりAIの開発が進むにつれ、「資格=オワコン」方向に向かうというあっけない幕引きになりました。
時折、カメラのフィルムや現像がなくなったことを思い出します。
あんなに勉強してとった資格なのに、あと何年使えるかわからないというひどい状況・・・。ひー。
令和:スペシャリスト×スペシャリスト×スペシャリスト
令和時代にはいり、AIの開発はさらに進みます。
加えて、You Tube、メタバースなど、ITの視覚化が進んでいます。
令和時代に求められているのは、スペシャリスト×スペシャリスト×スペシャリストだと思われます。
例えば、税理士なら、
税理士×ブロガー×You Tuber×インフルエンサー×Twitterフォロワー数×DX×容姿
うげっ!!!吐きそう。
クリアできそうにないです。
1個1個がスペシャリストなのに、令和の時代は、無情にも、1個のスペシャリストだけでは、成り立たない時代になっています。
例えば、ひろゆきさんなら、
起業家×You Tuber×インフルエンサー×作家×イケメン
ということです。
いったい何人のスペシャリストを1人でこなしているんですか?という猛者がうまくいく時代になっています。
スペシャリスト×スペシャリスト×スペシャリストなので、考えるだけで疲れてきます。
さて、この令和の時代をどうやって抜けていくか?
あ~。もしかして、戦前に生まれれば、楽だったのかもしれない・・・。
なんとか切り抜ける方法は・・・。
「ゼネラリストかスペシャリストか?時代の流れはどっち?」のまとめ
本記事のまとめ
戦前は、農業スペシャリスト。昭和はゼネラリスト。平成はスペシャリスト。令和は、スペシャリスト×スペシャリスト×スペシャリスト。
令和は、厳しい時代となっています。一息つく暇もありません。
本記事を読んだあなたがすべきこと
・珍しいスペシャリストの組み合わせを見つけ、オンリーワンを目指す。