建設会社の起業・開業・独立方法は?アメリカの大手建設会社から学ぼう!

1.建設会社の起業・開業・独立のポテンシャルは?

アメリカの建設会社は、約360万社(2021年)あります。我が国の建設会社は約47万社(2021年)です。人口比は3:1くらいです。人口比を考慮すると、我が国のあるべき建設会社数は、120万社位であり、アメリカに対してあるべき数の1/2くらいになっています。

我が国の建設会社の許認可数は2000年が最も多く、その後、減少に転じており、ここ2年はわずかに増加しています。ただし、アメリカと我が国のデータに個人事業主の建設業がどの程度反映されているのかが不明です。

この建設会社の数だけ見ると我が国には、建設会社増加のポテンシャルがありそうです。

①ピーエルシー建設会社とは?

ピーエルシー建設会社は、アメリカ9位の建設会社です。会社形態としては100%従業員所有となります。これはどういう形態なのでしょうか。気になりますが、これについては、後に判明します。

2019年の総売上は9ビリオンダラー(日本円で10兆円くらいです。)国内の売上が6.3ビリオンダラー約60%程度を占めます。

我が国の建設会社の売上ランキングでは、大和ハウス工業が1位で、4.3兆円の売上(2020年)を誇ります。

ピーエルシー建設会社は、大和ハウス工業の約2倍の大きさだと考えれば良さそうですね。

②ピーエルシー建設会社の本社・支店はどこにあるの?

ピーエルシー建設会社の本社はコロラド州デンバーにあります。

ピーエルシー建設会社は、カナダ、オーストラリア、アメリカ、カリブ諸国を建設エリアとしています。

③ピーエルシー建設会社の取扱業務は?

ピーエルシー建設会社は、一般建設業を行っています。建築計画に基づいた工事現場の監督、外注や取引の管理、情報の伝達などが主業務です。

2.ピーエルシー建設会社の起業・開業の歴史

①ピーエルシー建設会社の1906年起業時は?

ピーエルシー建設会社は、1906年にカナダ出身のアーネスト・エドワード・ポールとジェームス・マーティンによって設立されました。

1903年は、カナダ西部は新しいフロンティアでした。冒険心に満ち溢れた若い男性や女性が夢を抱いて馬や馬車そして徒歩で殺到しました。そこには、仕事が有り余るほどありました。19歳であったアーネストは、仕事を求めてカナダ西部へ出てきました。当初は、小売業者として働いていたアーネストですが、大工などの仲間と知り合いました。アーネストは、1906年に一般建設業を立ち上げました。そして、レンガ造りの学校や、市庁舎、銀行、店舗を建設し始めます。

②ピーエルシー建設会社の1913年は?

ピーエルシー建設会社は、1913年に会社設立をします。ピーエルシー建設会社の当時の本社は、カナダ西部アメリカ寄りのサスカッチワンという町です。サスカッチワンはおそらく先住民語なのではないかと思われます。サスカッチワンは、我が国ではあまり知られていない町ですがカナダの大自然広大な大地に築かれた町で、現在は高層ビルもあります。

当初は、「ポール建設有限会社」という社名でした。これを短縮してピーエルシー建設会社に近づいたようです。ピーエルシー建設会社は設立当初は、有限責任会社でした。おそらく個人事業主から7年後に有限会社に法人成りしたのでしょう。

③ピーエルシー建設会社の1921年(大正10年)は?

ピーエルシー建設会社は1921年に初めての大規模建設を行います。ウェイバーンという町を代表するウェイバーン病院でした。建物面積が6エーカー(約24,000㎡、約7,200坪)であり、400万個のレンガを使用しました。

我が国でいうと、横浜市大病院が、敷地面積27,000㎡なので、それに近いと思われます。1921年は大正10年なので、ものすごい大規模建設です。

④ピーエルシー建設会社の1935年(1929年からの世界大恐慌期間)は?

ピーエルシー建設会社は、1929年からの世界大恐慌のあおりを受け、新しい建設計画が困難になっていました。この状況下でも、ピーエルシー建設会社は従業員の解雇を行わず、なんとか雇用し続けました。そして、ピーエルシー建設会社は初の公共工事を受注します。トランス・カナダ・ハイウェイという高速道路工事です。この時、ピーエルシー建設会社が建設した高速道路は最初は一部でしたが、現在は、カナダ南部アメリカ国境よりの部分を横断し、東西に太平洋から大西洋までを結んでいる高速道路です。この時に、雇用を続けたことによりピーエルシー建設会社の従業員は会社に対して忠誠を誓うようになりました。

⑤ピーエルシー建設会社の1948年(第二次大戦後)は?

ピーエルシー建設会社創業社長アーネストの息子は、父から株式を購入しました。ピーエルシー建設株式会社の所有権移転の前に創業社長アーネストは、「ポールズルール」というガイドラインを作成しました。これは創業社長アーネストが、建設会社・建設業界へのナビゲートとなりました。息子にも同じように建設業界をうまく旅して欲しいという気持ちで書き上げました。

⑥ピーエルシー建設会社の1949(第二次大戦後)は?

ピーエルシー建設会社は、初めての工場建設に挑みます。ピーエルシー建設会社は、多角化のために、工場建設に挑戦します。

⑦ピーエルシー建設の1977年は?

ピーエルシー建設は、1977年に従業員所有となります。これは従業員の強い忠誠と安定につながる結果となりました。CEOであるボブ・ストローリーと、24人の上級マネージャーが創業一家であるポールの家族から株式を買い取りました。これにて、ピーエルシー建設は家族経営から従業員持ち株会による経営へと移行しました。

従業員持ち株会による運営の会社はアメリカにも他にたくさんあります。代表的なところでいうと、全米非上場企業トップ5のパブリックス・スーパーマーケットで、こちらは、22万の従業員が株を保有しています。

⑧ピーエルシー建設会社のコロナ前は?

ピーエルシー建設の2019年の総売上は9ビリオンダラー(日本円で10兆円くらい。)でした。

⑨ピーエルシー建設会社のコロナ期は?

2020年の総売上は6.3ビリオンダラー(日本円で7兆円くらい)に減ってしましました。これはコロナの影響だそうです。

我が国における建設業界のコロナの影響としては、2020年1年は前年比8.5%減でした。建築業界は、売上が減少しましたが、土木工事はコロナ期においても2年連続増収しました。

参考までに、2021年の建設業界の売上は、前年比で1.5%増加しました。しかし、コロナ前と比べると依然として、7%減となっています。